Awfully Chocolateをつくった人
シンガポールにいると、いつの間にか名前を覚えているお店があります。
Awfully Chocolateも、私にとってはそんなお店のひとつでした。
名前は大胆なのに、代表的なケーキは意外なくらいシンプルです。
調べてみると、始まりは1998年。Katongにできた小さなお店でした。
しかも最初に売っていたのは、たった一種類のチョコレートケーキ。
それを知って、なんだか気になりました。
今ではシンガポールでよく知られたブランドなのに、どうして最初は一種類だけだったのだろう。
そして、そのお店を始めたLyn Lee氏は、もともと食の世界にいた人ではありません。
法律の仕事をしていた人でした。
Lyn Leeとは
Lyn Lee氏は、シンガポール発のチョコレートブランド、Awfully Chocolateの共同創業者です。
大学卒業後は法律事務所で働き、その後はメディア会社へ。
ケーキ作りを仕事にしていたわけでも、飲食のお店を経営した経験があったわけでもありません。
友人たちと「自分たちが本当に食べたいチョコレートケーキを作ろう」と試作を始めたことが、Awfully Chocolateの始まりにつながっていきます。
家族や友人にも食べてもらいながら何度も作り直し、1998年に最初のお店を開きました。
今となっては、きれいなブランド誕生の物語に見えます。
でも、その頃から今の姿まで見えていたわけではなかったようです。
始まりは、一種類のチョコレートケーキ
お店を開いたのは1998年。
アジア通貨危機の影響がまだ残っていた頃です。
場所はKatong。
そしてメニューは、ダークチョコレートケーキ一種類だけでした。
市場調査もしていなかったと、Lyn Lee氏は後のインタビューで話しています。
周りから見れば、なかなか心配な始め方だったと思います。
Katongは昔から、laksaやPeranakan料理などで知られる食の街です。
そこに突然、ホールのチョコレートケーキだけを売るお店ができる。
私なら、ちょっと覗いてみたくなります。
今はたくさんの商品が並ぶお店の方が普通なので、「一種類しかありません」と言われると、かえってその一つが気になります。
最初からそこまで狙っていたのかは分かりません。
でも、そのシンプルさが、あとからAwfully Chocolateらしさになっていったのかもしれません。

なぜKatongだったのか
最初のお店がKatongだったことにも、惹かれました。
共同創業者の中には、この辺りで育った人がいたそうです。
おいしいものが集まる場所で受け入れられれば、きっとほかでも通用する。
そんな思いもあったといいます。
今のKatongやJoo Chiatを歩くと、昔ながらのショップハウスの間に、小さなカフェや新しいお店が自然に溶け込んでいます。
なんとなく歩いているだけでも、つい気になるお店を覗いてしまう。そんな街です。
もちろん、1998年の景色は今とは違います。
それでも、Awfully Chocolateがここから始まったと知ると、いつものKatongが前とは違って見えてきます。

ケーキ屋らしくない店
最初のお店には、一般的なケーキ屋さんにあるようなショーケースもありませんでした。
予算に余裕がなかったことも、理由のひとつだったそうです。
そもそも、一種類の茶色いケーキをずらりと並べても仕方がない。
そう聞くと、たしかにそうかもしれません。
そんな事情もあって、お店はどこかケーキ屋さんらしくない雰囲気になりました。
外から見ただけでは、何を売っているのかよく分からない。
でも中に入ると、あるのはチョコレートケーキだけ。
最初から完成されたブランドを作ろうとしていたというより、そのときできることを選んでいったら、いつの間にかそれがお店の個性になっていた。
私は、こういう始まり方が好きです。
その後、雑誌で紹介されたことをきっかけに名前が広がり、当時は一日に作れる50個ほどのケーキが売り切れると、その日の営業を終えていたそうです。
小さな店から、シンガポールのブランドへ
Awfully Chocolateは、その後、時間をかけてお店を増やしていきます。
2号店ができたのは、最初のお店から数年後のこと。
一気に広げるのではなく、最初のお店で得た利益を、次のお店へつなげながら進んでいきました。
やがてチョコレートトリュフやアイスクリームなどの商品も加わり、お店の形も変わっていきます。
ショッピングモールに出店したときには、また別のことに気づきました。
買い物の途中で、ホールケーキをずっと持ち歩きたい人は、それほど多くない。
それなら、その場で一切れ食べられる方がいい。
そんなふうに、カフェという形も加わっていきました。
最初に決めた形をそのまま守り続けるのではなく、そのときに合う形へ変えていく。
でも、始まりのチョコレートケーキは今も残っています。
そこが、私は好きです。

長く続くことの方が難しい
25年以上続いているブランドを見ると、つい「ずっと順調だったんだろうな」と思ってしまいます。
でも、その間には金融危機もあれば、パンデミックもありました。
中国にたくさんのお店を出した時期もあれば、その後、規模を小さくした時期もあります。
シンガポールでは今も、家賃や人件費、原材料費の高さが、飲食のお店にとって大きな負担になっています。
Lyn Lee氏も、長く続いているお店だけを見て、「工夫すれば生き残れる」と簡単に言うことには慎重です。
私は、そこが印象に残りました。
長く続いていると、後から見た人には、うまくいったことばかりが目に入ります。
でもきっと、その途中には、やめたことも、変えたことも、思った通りにならなかったこともあったはずです。
続けるというのは、同じことを守り続けることではなく、そのたびに選び直すことなのかもしれません。
一種類から始めた人
Lyn Lee氏について調べていて、私がいちばん心に残ったのは、派手な成功の話ではありませんでした。
最初のお店に並んでいたのが、一種類のチョコレートケーキだけだったこと。
飲食の経験がなかったこと。
それでも、お店を始めたこと。
何かを始めるとき、最初から完成形が見えている人は、きっとそんなに多くありません。
まず一つ作ってみる。
続けながら、必要になったら形を変える。
Awfully Chocolateも、そうやって今の姿になっていったのだと思います。
シンガポールで見慣れていたチョコレートケーキが、始まりを知ってから、前とは違って見えるようになりました。
More from Notes from Singapore
Stories
Joo Chiat — 色のある街を歩く→
シンガポール東部のショップハウスと街の空気をもう少し。
Business
小さな店が、ブランドになる街→
店と街、そしてブランドの関係について。
People
酒井崇匡(酒井勝一)とは→
人物像やこれまでの歩みをたどります。
参考:National Library Board Singapore / CNA Luxury / Awfully Chocolate
